両面宿儺の正体を探る。岐阜に伝わる双面の神はなぜ鬼と呼ばれたのか 古文書と遺跡が語る古代信仰の謎

10.242025

この記事は4分で読めます

どうも、シオンです。


両面宿儺という名を聞くと、
大人気漫画
「呪術廻戦」の宿儺を
思い浮かべる人も多いかもしれません。




恐ろしい呪いの王として
描かれるあの存在には、
実は明確なモデルがいます。

それが、
岐阜県の山あいに古くから伝わる
実在の伝承に登場する両面宿儺です。


古い記録によれば、
彼は二つの顔と四本の腕を持つ異形の神
として語られています。


日本書紀では朝廷に背いた鬼神とされる一方で、
地元の飛騨地方では
今も人々を守る神として祀られています。


同じ存在なのに、
なぜ正反対の姿で語られるのか。

この矛盾の背景には、
古代日本における信仰と権力の衝突が潜んでいると考えられます。


今回のブログでは、
古文書、遺跡、そして残された信仰の痕跡をたどりながら、
両面宿儺という存在が
本当はどんな意味を持っていたのか
を探っていきます。

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両面宿儺の起源と伝承の記録


両面宿儺の名が最初に登場するのは、
日本書紀の推古天皇二十一年の条とされている。



そこには
「飛騨国に宿儺という者あり。
両面四手足にして悪しき心を抱き、
朝命に従わず」

と記されている。


この記述では、
宿儺は明らかに
「朝廷に逆らう異形の存在」
として描かれている。


その後、
討伐の命を受けた武将・難波根子武振熊によって討たれたと記されるが、
記録は簡潔で、
動機や背景には一切触れられていない。


一方、
岐阜県飛騨地方に残る伝承では、
宿儺はまったく異なる存在として語られている。


村人に農耕や建築を教え、
山火事や洪水の際には人々を助けたとされる。




そのため、地元では
「宿儺さま」と呼ばれ、
守り神として神社に祀られている地域もある。


つまり、
中央の記録では“討たれる悪神”でありながら、
地方では“崇められる神”として信仰されているのだ。


この相反する評価は、
単なる伝承の違いではなく、
時代の権力構造を映したものと考えられる。


中央政権にとって、
地方の独立した信仰や祭祀は統治を脅かす存在だった。

そのため、
古い信仰を“鬼神”として再定義し、
討伐の物語に変えた可能性が高い。

宿儺の伝承は、
まさに信仰と政治の境界線上に生まれた象徴といえる。



飛騨に残る遺跡と信仰の痕跡


岐阜県高山市周辺には、
今も両面宿儺にゆかりのある場所が点在している。



中でも知られているのが、
宿儺神社や宿儺塚と呼ばれる地名だ。
ChatGPT Image 2025年10月13日 14_37_53



これらは、
宿儺を祀る神社や供養のために築かれた塚だと伝えられており、
地元の人々の信仰の深さを物語っている。


宿儺神社の境内には、
古い石碑や仏像が残されている。

その中には、
二つの顔を持ち、四本の腕を備えた像があり、
飛鳥時代の仏像様式との共通点が見られる。


この造形は、
仏教伝来以前の山岳信仰と密接に関係していると考えられており、
宿儺が単なる人物ではなく、
山そのものを神格化した存在だった可能性を示唆している。


また、飛騨地方には
「宿儺が通った」とされる山道や
「宿儺の手形石」と呼ばれる奇岩も残っている。


それらは地質学的には自然の造形だが、
古くから人々はそこに“宿儺の力”を見てきた。

科学が発達した現代でも、
その土地の人々にとって宿儺は伝説の中だけの存在ではなく、
今も静かに息づく信仰の象徴となっている。



こうした信仰の痕跡は、
単なる民話や伝承にとどまらず、
古代日本における地域文化の自立を示す資料としても価値が高い。

中央の歴史書が描かなかった
もう一つの古代史が、
飛騨の山々の中に今も埋もれている。



両面宿儺が鬼とされた理由 政治と信仰の境界線


日本書紀が両面宿儺を「鬼」と記した背景には、
単なる宗教的偏見ではなく政治的意図があったと考えられる。


古代の中央政権にとって、
地方に根付く独自の信仰や首長は統治の妨げとなる存在だった。


そのため、
中央に従わない勢力や異なる神を祀る集団は、
しばしば“異形”や“賊”として記録されている。

両面宿儺もまた、
そのひとりだった可能性が高い。

彼は飛騨の地で独自の祭祀を行い、
地域の人々を守る立場にあった。


しかし、
その信仰は大和朝廷が推し進めた
新しい国家体制とは相容れなかった。


やがて、中央の記録においては
「討たれた鬼」として書き換えられていく。



また、仏教伝来以降、
古来の山岳信仰や自然神は“異端”とみなされ、
仏教的な秩序の外に追いやられた。


宿儺の二面四臂という姿は、
仏教の守護神に通じる形でもありながら、
同時に“異形”としての恐怖をも象徴していた。


その二面性こそが、
後に「鬼」としてのイメージを強化したとも言われている。


つまり、両面宿儺が鬼とされたのは、
単なる伝承上の物語ではなく、
信仰と政治が交錯した結果だった。


中央が記した“討伐の記録”の裏には、
失われたもう一つの古代日本の姿が隠されている。



両面宿儺の二つの顔が示す意味


両面宿儺の姿は、
ただの怪異ではない。

二つの顔と四本の腕という形には、
古代の人々が抱いた神の本質が表れている。


それは、
善と悪、創造と破壊、救いと罰といった
相反する力を一つに宿す存在だったと考えられている。



古代日本では、
神は常に二面性を持つと信じられていた。



祈りを受け入れるときは恵みをもたらし、
怒りを買えば災いをもたらす。


その「光と闇を併せ持つ力」こそが、
両面宿儺の象徴だった。

山や川、自然そのものに神を見ていた時代、
宿儺の姿はその“自然の力”を象徴していたのだろう。


また、
宿儺の二つの顔は
「内なる神」と「外なる神」を
意味するともいわれる。

一方は人々を守る慈悲の面、
もう一方は自然や死の力と結びつく畏怖の面。


どちらも欠けてはならない“世界の均衡”を表していた。

現代でも岐阜の一部地域では、
宿儺を祀る行事が続いている。


表向きは豊作祈願や火防の祭りだが、
その根底には
「怒りと慈しみを一体とする神」
への信仰が今も息づいている。


両面宿儺は、時代が変わってもなお、
善悪の境を問い続ける存在として残り続けている。



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まとめ


両面宿儺とは、
中央から見れば反逆者であり、
地元から見れば守護神だった。


この相反する評価は、
単なる伝説ではなく、
古代日本における信仰と政治の衝突を映している。


朝廷は統治の秩序を守るために宿儺を鬼と記したが、
飛騨の人々にとってそれは災いを防ぐ神の象徴だった。


その二面性こそが、
彼の名が千年以上も語り継がれてきた理由だろう。


現代の作品呪術廻戦に登場する宿儺は、
恐ろしい力と知恵を持ちながらも、
どこか人間的な二面性を持っている。


それは偶然ではなく、
古代から受け継がれた善と悪の境界を超える存在
という本来の宿儺像に通じている。


古代の神が現代の物語の中で
再び息を吹き返している
ともいえる。

両面宿儺は、
恐怖と畏敬の狭間に立つ存在だった。

そして今もなお、
人が抱く見えない力への敬意と
制御できない恐れを映し続けている。


その姿は、
古代から現代まで変わらず、
日本人の心の奥に残る神と鬼の境界そのものなのかもしれない。


この伝承を調べていくと、
日本各地に残る「封印」「禁忌」「異形の神」
といった伝説と多くの共通点が見えてくる。

それらはすべて、
見えないものへの畏れと、
知ろうとする人間の本能が生んだ記録なのだろう。

→ 関連記事
雪の夜にしか開かない神社。封じられた鳥居の向こう側にあるもう一つの現実



参考文献・出典
日本書紀 推古天皇紀
岐阜県教育委員会『飛騨地方の古代信仰と宿儺伝承』
高山市文化財調査報告書『宿儺神社の沿革と祭祀』
国立歴史民俗博物館論集『古代山岳信仰の地域性と神格変容』
飛騨市史編纂委員会『飛騨の伝承と信仰』
文化庁文化財保護部『古代信仰遺跡と地方祭祀の変遷』


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