地中海に浮かぶ小さな島、
マルタ島。
古代の巨石神殿群や騎士団の要塞で知られ、
歴史と神秘が入り混じる場所です。
そんなマルタ島で最近、
驚くべき発見がありました。
北部のラトニヤ洞窟(Latnija Cave)から、
これまで知られていたよりも
はるかに古い人類の痕跡が見つかったのです。
放射性炭素年代測定によると、
その痕跡はおよそ8,500年前のもの。
マルタ島に人が住み始めた時期が、
これまで考えられていたより
1,000年以上もさかのぼる可能性が出てきました。
私自身、
このニュースを見たとき
「なぜそんなに早く、こんな小さな島に人が来られたのか?」
と
好奇心が止まりませんでした。
当時の人々は、どこから、
どんな方法で海を渡ってきたのでしょうか?
今回は、マルタ島ラトニヤ洞窟の最新発見と、
そこから見えてきた先史時代のミステリーを掘り下げていきます。
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ラトニヤ洞窟とは?
ラトニヤ洞窟(Latnija Cave)は、
マルタ島北部の海岸近くにある小さな洞窟です。
長らく人が入らず、
詳しい調査も行われていませんでしたが、
近年の発掘調査によって注目を集める存在となりました。
洞窟の内部は狭く、
外から見ただけでは何の変哲もないように見えます。
しかし、
内部を掘り進めていくと土器片や石器、
人骨の一部などが出土し、
そこが人々の生活の場、
あるいは埋葬の場として
使われていた可能性が高まったのです。
私自身、
この洞窟の写真を見たとき
「こんな小さな空間に、過去の人々の営みが眠っているのか」と
不思議な感覚を覚えました。
まるでタイムカプセルのように、
当時の空気がそのまま閉じ込められているかのようです。
発見された遺物とその年代
ラトニヤ洞窟の発掘調査で見つかったのは、
土器の破片、石器、人骨片などです。
これらは放射性炭素年代測定によって、
紀元前6500〜6300年頃のものと推定されました。
つまり今から
およそ8,500年前、
すでに人がこの洞窟に立ち入り、
生活していた可能性があるのです。
この年代は、
これまでマルタ島で知られていた最古の定住時期より
約1,000年も古いことになります。
つまり、
マルタ島に人類がやってきた歴史が
大幅に書き換えられる発見というわけです。
私自身、
この年代の情報を知ったとき
「この時代に地中海を渡ってきた人々がいたのか」と
驚きを隠せませんでした。
当時の航海技術や移住ルートを想像すると、
まるで冒険物語のように感じられます。
マルタ先史時代のミステリー
これまでマルタ島の人類史は、
紀元前5200年ごろに
シチリア島から渡ってきた人々が
最初の住民と考えられていました。
しかしラトニヤ洞窟の発見により、
島の歴史はさらに千年以上さかのぼる可能性が出てきたのです。
では、この最古の住民たちは
どこから来たのでしょうか?
考えられるのは、
シチリア島やイタリア半島、
あるいはさらに遠くの地中海沿岸地域から
小舟を使って海を渡ってきたという説です。
8,500年前といえば、
まだ気候が今よりも不安定で、
海の航行は非常に危険でした。
それでも彼らはリスクを冒してまでこの島に到達し、
洞窟を拠点に生活していたのかもしれません。
私自身、こうした仮説を知ると、
「なぜ彼らはマルタ島を目指したのか?」
という新しい疑問が湧いてきます。
単なる偶然の漂着だったのか、
それとも意図的な移住だったのか。
その答えは、まだ誰にも分かりません。
巨石文明とのつながりは?
マルタ島といえば、
世界遺産にも登録されている巨石神殿群が有名です。
ハジャール・イムやジュガンティーヤなどの神殿は、
紀元前3600年ごろに建てられたとされています。
ラトニヤ洞窟で見つかった8,500年前の人々が、
この巨石文明と直接関わりがあったのかは、
まだ分かっていません。
しかし、
島にもっと早い段階から人が住んでいたとすれば、
巨石神殿の建設に必要な知識や技術の基盤は、
この時代から少しずつ築かれていたのかもしれません。
私自身、洞窟と神殿を結びつけて想像すると、
「もしかすると巨石文明は、
はるか昔に島に渡った先住民の記憶から始まったのではないか」
というロマンを感じずにはいられません。
洞窟はただの住居ではなく、
当時の人々の儀式や信仰の場だった可能性もあります。
それを思うと、
ラトニヤ洞窟は巨石文明の“前史”を解き明かす鍵なのかもしれません。
私が感じるロマン
ラトニヤ洞窟のニュースを読んで、
私は胸が高鳴りました。
洞窟の奥に眠る石器や骨は、
まるで過去からのメッセージのようです。
8,500年前といえば、
日本では縄文時代のはじまり。
そんな時代に、
地中海を渡り、
マルタ島という小さな島にたどり着いた人々がいたなんて、
想像するだけでワクワクします。
彼らは何を食べ、
どんな家に住み、
どんな言葉を話していたのでしょうか。
そして、
なぜ島にやってきたのか――
単なる生存のためだったのか、
それとも信仰や儀式のための“特別な場所”として選ばれたのか。
私は、ラトニヤ洞窟は単なる考古学的発見ではなく、
人間の冒険心と生き抜く力を感じさせる“物語”だと思います。
この洞窟から、
まだ誰も知らない歴史が発掘される日が
楽しみでなりません。
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まとめ
ラトニヤ洞窟の発見は、
マルタ島の歴史を大きく塗り替えるものでした。
これまで知られていた最古の定住より1,000年以上古い時代に、
すでに人が
この島に足を踏み入れていた可能性があるのです。
この発見は、
巨石文明の起源や地中海の航海史に
新たな疑問を投げかけます。
小さな洞窟から始まる謎が、
島全体の歴史、
さらには地中海世界全体の人類史に
影響を与えるかもしれない――そう考えると、
胸が躍りますよね!
私自身、
ラトニヤ洞窟を調べながら
「過去はまだ見つかっていない物語で満ちている」
と感じました。
これからの発掘で、
どんな驚きの発見が出てくるのか楽しみです。
ところで!
ラトニヤ洞窟の発見で、
人類の歴史が思わぬかたちで塗り替えられる――。
そんなニュースに心を揺さぶられた方には、
もうひとつぜひ知ってほしい場所があります。
それは、
インドネシア・バリ島に存在する
「ツルヤン村」。
ここには、
土に埋葬せず、
頭蓋骨を並べて安置する
という独特の風習が残されています。
なぜ村人たちは今もその方法を守り続けるのか?
呪術的なタブーと呼ばれる儀式には、
どんな意味が込められているのか?
マルタ島の洞窟に眠る先史時代の痕跡と同じように、
ツルヤン村の墓地もまた、
私たちがまだ知らない
「人間の死生観」を突きつけてきます。
[バリ島ツルヤン村の呪われた墓地とは?頭蓋骨が並ぶ神秘の場所と伝わるタブー]
参考文献
– [Wikipedia – Latnija Cave](https://en.wikipedia.org/wiki/Latnija_Cave)
– [Times of Malta – Prehistoric traces discovered in Malta’s Latnija Cave](https://timesofmalta.com/article/prehistoric-human-traces-found-latnija-cave.1149288)
– [Heritage Malta – Archaeological research updates](https://heritagemalta.mt/)
– [Archaeology News Network – Malta’s earliest settlement pushed back 1,000 years](https://archaeologynewsnetwork.blogspot.com/)
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